島人の生活に寄り添い、それぞれの風土に培われ、その土地の人々に育まれ愛されてきた五つの蔵。それぞれの蔵のこだわりが杜氏から蔵人へ引き継がれ、深い味わいを醸し出しています。
旧銘柄「天川」「まるいち」「萬代」「福久盛」「まるしか」で親しまれた五蔵の
歴史とこだわりを紹介します。
「天川」(あまかわ)の名は美しく煌く徳之島の星空に由来する。
創業者乾純之助は、本土復帰後間も無い頃、病害に強く糖度の高いさとうきびの新品種を島に持ち込み普及させた。これにより徳之島の製糖に改革をもたらした功労者である。
二代目乾辰郎はプロのサックス奏者という意外な経歴の持ち主。人気銘柄「煌の島」の商品開発に貢献した。
眞一郎は、東京農業大学醸造学科を卒業。醗酵学の権威である小泉武夫教授のもとで、焼酎作りの基礎を学んだ。この蔵は、伝統的なスッポン仕込みを採用しており、米麹の一次仕込みと黒糖の二次仕込みを同じタンクで行っている。
創業者が台湾や沖縄で黒糖造りに携わっていたこともあり原料黒糖へのこだわりが強い。以前は自社製糖も行っていた。原料の薫りを大切にした焼酎造りを心掛けている。
代表取締役 乾 眞一郎
杜氏歴23年の福地初弘
「23年という経験をもってしても、焼酎が出来上がるまでは不安で何度も蔵を訪れる。仕込みタンクを見て廻っては一喜一憂。良い酒を造りたいという情熱は、20年前も今も変わらない。」と語る。謙虚な姿勢が美味い酒を生む。
杜氏 福地 初弘
(杜氏歴:23年)
徳之島で最も古い歴史を持つ蔵である。創業者亀沢道喜が沖縄から杜氏を招き蔵を開いた。
道喜は昭和5年に亀津村長に就任、以来通算して22年もの間町長の職を務めており、徳之島町の名誉町民一号である。米軍統治下の徳之島で徳之島高等学校の設立にも尽力している。
杜氏歴30年の前田義清
間もなく定年を迎えようとしている。現在は長年の経験により培った杜氏の技を後継者に伝えることに余念が無い。「焼酎作りは麹造りにあり」という前田。米の浸漬や蒸し時間には最大限の注意を払う。その思いは、蒸し器の横の時計と伴に若い蔵子たちに受継がれる。
杜氏 前田 義清
(杜氏歴:30年)
先代の高岡善吉、現社長の秀規、親子二代にわたり徳之島町の町長を務める。又、現在県立徳之島高等学校の建つ土地は、創業者高岡徳浜が寄贈したもの。
旧銘柄「萬代」(まんだい)には、「この酒を飲む人たちの健康と幸せが長く続くように」という、町の人達への思いが込められている。
この蔵では黒糖焼酎の他に、ラム酒「RURIKAKESU RUM」が製造されている。先代社長がパパイヤから天然酵母を自社培養し独自の製造方法を確立した。柔軟な発想と探究心は創業当時から続く社風ともいえる。
玉川大学農学部でバイオロジーを学んだ現社長。町長の激務をこなしつつも毎日蔵に立ち寄る。ひとたび蔵に入れば、醸造家としての顔が戻る。
代表取締役 高岡 秀規
杜氏の仲淳一郎(杜氏歴5年)は、社長と同い年。
自動車整備士という異色のキャリアを持つ。社長同様研究熱心で、愛読書は日本醸造協会発行の「本格醸造技術書」。技術者としても優秀で、より美味い酒を造るため醸造器具に工夫を凝らしたり、配管の修理も自身で行う。
杜氏 仲 淳一郎
(杜氏歴: 5年)
初代中村資盛が沖縄から杜氏を招き、泡盛の酒造場として創業。
旧銘柄の「富久盛」(ふくざかり)は旧天城村役場の課長が審査員長となり村内からの公募により名付けられた。以来天城町ではわが町の酒として愛されてきた。
仕込みの方法はいわゆる三段仕込で、一次仕込みに外気温の影響を受けにくいFRP(繊維強化プラスチック製)タンクを使用。二次仕込みと三次仕込みにはステンレスのタンクを使用する。
社長の中村功は、東京の酒販卸での修業を経て平成13年に帰島。以来父と共に経営に携わってきたが、平成25年に父明秀が他界。杜氏である弟の裕と共に、若い力と熱い思いで蔵を受継ぐ。
代表取締役 中村 功
杜氏中村裕は若いながら杜氏歴は15年。
50年間杜氏を続けてきた叔父から酒造りを厳しく仕込まれた。蔵の中は隅々まで掃除が行き届き、埃ひとつ見られない。壁には「清潔・迅速・温度管理」の文字が掲げられており、基本に忠実な酒造りを心掛けている。
杜氏 中村 裕
(杜氏歴:15年)
三代目杜氏松永晶子(杜氏歴15年)
経営者として、杜氏として、多忙な日々を送りつつ二人の子供を育てる母親でもある。
東京農業大学醸造学科卒業後、前杜氏である母と二人三脚で蔵を守ってきた。「酒造りは子育てと同じ」と言い続けた母の意志を受継ぎ、女性ならではの繊細な仕込みを心掛けている。
代表取締役 松永 晶子